私が深澤辰哉さんを応援するまで

テレビの露出が増えたころ、自然と目で追っていた。それはとてもシンプルな理由で、「あー、顔が好きなんだな」と気付いた。そこからは意識的に見聞きするようになったのだけれど、それでも私はアイドルとしての彼を好きだと認められなかった。

それにはいくつかの理由がある。

私はセンターにいるかっこいいアイドルが好きだ。赤西仁錦戸亮中島健人……今まで好きになってきたのはそういうアイドルだった。深澤辰哉というアイドルは、どちらかと言えば三枚目路線なのだろう。15年以上ジャニヲタをしてきて、いきなりこんな路線変更、自分の心が追い付かないというのが正直な感想かもしれない。「深澤さんのことはアイドルとしては見られないよ、顔がタイプなだけだよ」と繰り返していた。

深澤さんのファンにとってセンシティブな問題だけれど、彼はカメラに抜かれない。シングル曲ではなかなかソロパートもいただけない。「9人もいるグループだからしかたないよね~」と諦めるためには、本命ではないからいいのだという言い訳が私には必要だった。

いつのころからか「深澤さんが一番だって認めなよ~」と友達に言われるようになった。たしかに深澤さんに関するツイートが増えていること、そしてそれが好きという気持ちに比例していることもわかってはいた。でも、それでも私は彼が一番だと認めることはできなかった。

前述のとおり、私はかつて関ジャニ∞に所属していた錦戸亮さんが好きだったのだけれど、私は関ジャニ∞の「おもしろくてかっこいい関西のお兄ちゃん」的なパブリックイメージが好きではなかった。アイドルにおもしろさは必要だろうか?と何度も疑問に思った。私はかっこいい錦戸さんが見たかった。錦戸さんがグループを離れるまでずっとこのギャップに悩まされていたし、ずっと苦しめられていた。しんどかった。深澤さんのムードメーカーなところは愛おしいけど、「お前は二枚目キャラじゃないよ」と言った誰かさんのことを憎んでもいた。「深澤さんはかっこいいのにどうして呪いのようにそんな言葉を向けたの?」と思わずにはいられなかった。私の見たい深澤さんと、実際のキャラクターは食い違っていたのだ。「あー、これじゃああのときと同じことを繰り返してしまう。またしんどい思いをする」と脳内で警報が鳴る。「もうあの頃には戻りたくない」と心が泣いていた。

こんな私の赤裸々な心の動きを改めて文章にするに至ったきっかけは、深澤さんが初めて雑誌の単独表紙を飾ることになったということだ(しかもジャニヲタが大好きなanan!)

情報解禁され、友人からその事実を聞いたとき、嬉しい気持ちが溢れてきて体が震えるほどだった。実際の表紙を見て、あまりのかっこよさに心が満ち足りていった。そして「貢献したい」と思った。こんなふうに思えるって、それはもう好きで応援してて大切な存在ってことだ。

私には他にも応援したいアイドルがいる。彼らがのぼりつめていく様子を見ていたいと思う存在だ。でも深澤さんのこともきちんと応援していきたいと思った。一番がふたつある私でもいいかな?友人たちからしたら「やっと?いまさら?」かもしれないけれど、そういえば私は錦戸担だと認めるのにも時間がかかったし、そういう性格なのかもしれない。