赤西担だったころのお話

新型コロナウィルスの影響で在宅時間が増えた皆さまのために赤西仁さんがYouTubeにライブ映像をアップしてくれました。(しかも4本も…!※2020年4月24日現在)

 


JIN AKANISHI 赤西仁 - LIVE TOUR 2015 ~Me~

 


JIN AKANISHI 赤西仁 - LIVE TOUR 2016 〜AUDIO FASHION〜 in MAKUHARI

 


JIN AKANISHI 赤西仁 - LIVE TOUR 2017 in YOYOGI 〜RÈSUMÈ〜

 


JIN AKANISHI 赤西 仁 - LIVE TOUR 2018 “Blessèd” in MAKUHARI

 

 

この映像を見返していて、赤西くんと共にあった青春時代のことを思い出しました。赤西仁さんを思ってキーっと熱く感情が込み上げてくることは今はもう少なくなったけれど、あのころを思い出して胸がギュッとなるくらいには鮮やかなものだったので、せっかくなら書き記しておきたいなと思いました。

長くなるかもしれないけどよければお付き合いください。

 

 

彼を知ったのは2003年、アイドル誌で見かけたことがきっかけでした。端正な顔立ちと年の割に色っぽい雰囲気、一目惚れでした。知れば知るほど彼は魅力的で、無邪気な笑顔とセクシーな表情のギャップ、歌のうまさ、しなやかなダンス、話すとちょっぴりあほっぽいところも全部ひっくるめて好きになりました。

 

彼を見ると胸がカーッと熱くなるのです。その素敵さにひゃっほぅ!と叫んでしまいたくなるし、彼の一挙手一投足が私の胸を掴んで離さないのです。それは嬉しくって、でも苦しくって、私はいつもジタバタ。瞬きするその仕草さえ私のツボを掴んで離しませんでした。彼の歌声が私の鼓膜を震わせるたびに心臓が跳ねるのです。当時小学生の私にとってこんな感覚はもちろん初めてでした。

 

私が好きになったころにはもう既にたくさんのファンがいたけれど、2005年『ごくせん2』出演によって、あっという間にジャニーズファン以外の層にも人気が広まっていきました。

ドラマ、バラエティなどさまざまな仕事が舞い込み、2006年3月に晴れてKAT-TUNとしてCDデビューしました。

 

今の彼を思えばもちろん大切な時期だったのだけれど、当時はその気持ちだけでは見ていられませんでした。残念なことに私の大好きな彼の無邪気な笑顔はどんどん見られなくなっていったからです。

 

コンサート前には「今日機嫌いいかな?」なんてファンの話題になるようになっていきました。私はその人間らしさが好きだったけれど、とても繊細で感じやすい彼がどんどん疲弊していくのが、隠しきれない不安定さが、心配でたまりませんでした。

 

そんな中のアメリカ留学。当時中学生だった私は、人生で初めて絶望を覚えました。もう彼は戻ってきてはくれないのではないかという考えが消えてくれないのです。今でこそ、ジャニーズも個人の人生を尊重するようになり、脱退・留学・解散・活動休止・退所も多くみられるようになってきましたが、2006年当時「無期限のアメリカ留学のための活動休止」は異端なことだったのです。まだ6人でデビューしたばかり、もっと6人で歌い踊る姿が見たい。彼個人の演技の仕事だって見てみたい。たくさん曲を作り、世に披露してほしい。でも彼のしたいことをしてほしい。どんどん新しいことを吸収してほしい。でも、でも。こんな風になって、普通にグループに戻ることはできるのだろうか?もし戻れなかったら?ジャニーズという大きな会社から離れて、彼は生きていけるのだろうか?私の心は乱れに乱れていました。しかし、私のこの拙い心配は杞憂に終わりました。半年後、彼はたくましくなって戻ってきてくれたからです。

 

また表舞台に立つ彼を応援できるようになりました。

彼はアメリカで確実に何かをモノにしてきていて、ソロ曲なんかも確実にブラッシュアップされていました。でも彼はどことなく不安定なまま。アイドルとはうつろいやすいもの、そこがいい。でも私は彼が心配でたまりませんでした。そこで湧いたひとつの気持ち。それは「結婚して、子供を授かり、愛すべき人・生涯をかけて守り抜くべき人を作ってほしい。そうすれば彼は強くなれるはず」ということです。

アイドルの応援をしているのに不思議ですよね。普通結婚なんてしてほしいわけない。ずっと独身でキラキラしていてほしいんでしょ、とアイドルファン以外の人なら思うかもしれません。でも私はそんなことよりも、彼が強くしなやかに健康で表舞台に立ち続けること、制作を続けることの方が大事でした。彼自身、雑誌等で「結婚したい」「早く子供がほしい」とよく発言していたことも大きかったかもしれません。彼の結婚は、私が彼に望むことのひとつに加わりました。

 

2007年に留学から戻り、KAT-TUNでのグループの仕事、個人での仕事、たくさんのことに取り組んでくれました。私はそれを素直に応援しました。彼を見られる毎日が幸せでたまりませんでした。でも、その日はゆっくりと近づいてきました。きっかけは2010年、『Love Yourself~君が嫌いな君が好き~』の音源が解禁されたことでした。明らかに赤西くんの歌割が少ないのです。他にもあれ?と思うことはたくさんあったと思います。(もうよく覚えていないけど)あれ、もしかして、彼はKAT-TUNを離れようとしているのか?とファンの間では噂が飛び交いました。そして、KAT-TUN脱退の公式発表が出されました。

 

正直に、ショックでした。私は6人の歌声が重なるのが大好きでした。シンメである仁亀のハーモニーはこの世でいちばんだと、今でも思っています。6人の揃わないダンスが好きでした。じゃれあう姿をずっと見ていたかった。でも、どこかでいつか終わりを迎えること、6人が笑いあっている未来は当たり前ではないとわかっていた気もする。そうだ、2006年のあのときに赤西くんが教えてくれていたじゃないか。2020年の今、脱退から10年経つけれど、また6人で笑いあってくれる日がくればいいのに、と願わない日はないです。KAT-TUNの6人としてじゃなくていい、ただ彼らが6人で笑い合ってくれればいいとそう思います。

 

私は仁亀というシンメが好きです。

「仁」「カメ」と呼び合う双子みたいに仲良しなふたりも、大人になって仕事へのスタンスや生き方の違いですれ違って「赤西」「亀梨」と呼び合うようになったふたりも、それらも全部飲み込んで「KAT-TUNのセンター」として並んでいたふたりのことも。ふたりを見ているのが苦しかった時期あったし、今思い出して苦しくなる時期だってあるけれど、それでも今でもあのふたりが大好きです。私の胸の中にはずっと、最高のシンメとして居座り続けるのです。別々の道を選んだ2020年の今も。

 

2010年にKAT-TUNを脱退し、ソロ活動を始めました。私自身「まだKAT-TUNでいる姿を見ていたかった」という未練の気持ちがなかったとは言い切れないけれど、ソロになってからも彼はいつだって最高のステージを見せてくれました。今ほど洗練されたものではなかったかもしれないけれど、それでも見るたびに彼はアップデートされていました。そんな彼が誇らしかった。

 

そして2012年、ついに結婚!

結婚してからの彼は本当に強くなったと思う。事後報告の結婚になり、事務所からはペナルティもいただいたけれど、それでも彼は強くなった。表情が変わった。ほら、やっぱり彼は守るものができて強くなる、そう言ったでしょ?という気持ちだった。だからこそ、安心してジャニーズ事務所を退所すること(2014年)も受け入れられた。

 

私は中丸さんと赤西さんのふたりが好きです。

長男気質の赤西くんが、唯一甘えられるのが1歳年上の中丸くんだったと思う。赤西くんが中丸くんに全力でじゃれつく姿が大好きだった。そして中丸くんもそんな赤西くんを受け入れてくれていたと思う。中丸くんはいつだって赤西くんを優しく見守ってくれた。留学のときも脱退のときも結婚のときも退所のときも、いつでも。感謝の気持ちでいっぱいです。

 

2014年に独立してからもライブに行ったり、CDを買ったりして応援していました。彼の作るステージはいつだって私を興奮させてくれます。でも同時に気持ちが落ち着く感覚も覚えていました。あ、私が一生懸命応援しなくても、遠くから見るだけになっても、彼はこの芸能界という過酷な世界を生き抜いていってくれると悟ったのだと思います。そう思えたのは、望んでいた妻と子供という存在ができたこと(それは彼の絶対的な味方が増えたということ)が大きいと思います。また、赤西さんを見守るファンも寛容で強い人たちだと、改めて知ったことも大きいです。

 

彼は私を強くしてくれました。彼の歴史の全てに、良くも悪くも私は心震わされたけれど、今もジャニーズを応援する私にとっては強みでしかない。何がきたって大したことじゃあないさ、と思える。ただまっすぐに好きな人を応援し続ければいいのだと、教えてくれたのは赤西くんです。

 

 

彼の顔が、その体が、身のこなしが、彼の頭の良さが好きです。母国語である日本語よりも英語の方が流暢なところも好きです。若いころは感性が強すぎることが心配でたまらなかったけれど、その感性が好きです。彼の愛するものが好きです。彼の作り上げるものが好きです。彼自身が大好きです。

 

 

昔は髪型にこだわっていた時期もあったし(脱退前のパイナップルヘアは今でも解せない)、サングラスや帽子は外して~!と願う日々もあったけれど、今の彼にはもう、多くは望みません。

 

ただ健やかに、自分のペースで、これからも表舞台に立ち続けていてくれさえいればいいのです。その姿をずっと、応援させてね。