私が錦戸担になっていくお話

「錦戸さんの担当になったきっかけと時期を教えてください!」

これはTwitterの某タグでいただいた質問です。
これについて回答しようと色々文字を打ってみるんだけど、どうしても140字では終わらない。

だから思い切ってブログの記事にしてみました!(タグの趣旨を無視しまくってるのには目をつぶってあげてください)



実は錦戸担になったきっかけも時期も非常に曖昧なんですよね。

でも、簡潔に答えるとすれば
「2004年の雑誌での発言から徐々に気になり始め、動く彼を見て2005-06年ころから明確に好きだと意識し始める。そして2014年?2015年?から錦戸担を名乗るようになりました」
ってな感じでしょうか。

…我ながら意味がわからない回答ですね。



ここから先は自分の中で確認する意味も込めて、私が錦戸担になるまでをつらつらと書いていきます。
「しゃあないな、読んであげようじゃないか」というお優しい方はお付き合いいただければ幸いです。





私が錦戸亮さんに出会ったのはNEWSが結成された2003年です。

当時の私は山下智久さんをきっかけにジャニーズの扉を開き、赤西仁さんに興味を示し始めたころでした。

そして錦戸亮さんを認識したと同時に、彼は赤西仁さん・山下智久さんと仲良しであるということも知りました。



正直、錦戸さんに対する私の第一印象はあまりいいものではありません。

当時の私は彫りの深い人は好みではなかったし(今も彫りの深い人はあまり好きではないけど)、なんならNEWSの中でも絶対にこの人だけは好きにはならない!と強く思ってました。

当時はバカみたいに好きじゃない!と反発してたので、今思うと嫌よ嫌よも好きの内って感じだったのかもしれないなぁ…なんて思ったりもします。


でもですよ!
当時の彼はなんかやたらにイカつかったし、なんかキレキャラに見えたし、赤西仁さんに対する態度も強かったし…
無知な小学生だった私には「恐いお兄さんだな…」というイメージが強かったのです。



でもその印象を一変させたのは、彼のとある言葉でした。

「この前、ひとりで時間について考えた。今まで19年間生きてきて、1日の平均睡眠時間を8時間としたら、少なくとも6年間は寝て過ごしたんやって。もし、その6年間、寝ずに起きてたら、今は25才の考え方ができたんかなぁ。そんなことを考えられる時間ってええやろ。」
(2004年上半期発売のMyojoより)


これを見たとき、
「あ、この人って私が思ってるような恐い人じゃなくてとっても頭のいい人なのかな?」
って、印象がガラッと変わったんです。

そこからは少なくてもマイナスなイメージではなくなって、赤西さんの良きお友達だなぁと微笑ましく見ているようになりましたし、錦戸さん自身にも興味を示すようになって、じわじわとこの人のことが好きかも…?と思い始めました。


2005年「1リットルの涙」で見た錦戸さんの動作1つ1つに胸がときめくようになり、
2006年にはエイターの友人ができ、DVDやらなんやらを見せてもらうようになって、歌って踊る錦戸亮さんのかっこよさを知りました。

じわじわと好きが積もっていった感じ。



また、2006年は担当であった赤西仁さんが所属するKAT-TUNがデビューするというおめでたい年でもありました。

が、赤西仁さんが留学のため無期限休業を発表するという衝撃的な年でもありました。


テレビで赤西さんを見られない期間、唯一の癒しは錦戸さんで、私は見事に錦戸さんにハマっていきます。

2007年4月に赤西さんが復帰しても、私の錦戸さんへの愛は収まることなく、むしろ「1リットルの涙 特別編〜追憶〜」で医者になった麻生遥斗を演じた彼にますます魅了されていきました。


今思えばこのころから掛け持ちみたいな状況だったなとわかるんですけどね、当時の私は頑なに赤西担だ!と言い張ってました。

だからと言って錦戸さんを副担(最近はあんまり聞かない言葉ですね)だとも言っておらず、ただただ錦戸さんのことが好きなだけだと。


でも錦戸さんの出るテレビは欠かさずに見てましたし、雑誌なんかも色々集めてました。
当時はあんまり意識してなかったんですが、先日切り抜きを見返したときに2006年ころから結構な量があって自分でもびっくりしたぐらいです。
また、NEWSや関ジャニ∞がコンサートをすれば欠かさずに行き、錦戸さんの団扇を持ち、錦戸さんだけを見つめていましたし、やってることは完全に錦戸担でしたね。


でもやっぱり私は赤西担でした。
どうしたってこのころは赤西さんが絶対的1番だったのです。



だから私が錦戸担だと名乗るようになったのは、赤西仁さんがジャニーズ事務所を退所した2014年以降でした。

気持ちは変わらぬまま大好きなんだけど、でもジャニーズではなくなった赤西さんに対して、「担当」という言葉を使うのは違うんだろうなあと思ったからです。

でもだからってすぐに錦戸さんを担当にするのはなんか都合がいい気がして、だからこそなんか違う気もしていて、すぐには錦戸担を名乗れずにいました。



2014年「ごめんね青春!」が放送し始めると、情報収集用にと思い、Twitterでヲタ垢を作りました。アイコンは錦戸さん、ツイートする内容も錦戸さん。

となると、そこで出会った方々にとって私は錦戸担に見えますよね。だからね、そこでお友達になった人たちがみんな私を錦戸担として見てくれるようになってですね、それで、あ、私は錦戸担を名乗ってもいいのかなって思うようになりました。

それで今の錦戸担な私が誕生するわけです。


天邪鬼なんでしょうね、
だからこんな面倒くさいことになってるんでしょう。




赤西さんのことは今でも大好きで、CDも買うしライブも行くし、幸せでいてほしいと思う。
でも彼のことで一喜することはあっても、一憂することはないんですよね。
安心して見ていられる存在。彼への好きは私の中で昇華されて、また別の領域にいってしまった感覚。



だからこそ、今は濁りなく錦戸担だと言えます。

錦戸さんが好きで好きでたまらなくて、彼のことをたくさん考えてしまうんですもん。彼のことで一喜一憂してしまうんですもん。彼以上に熱を上げられる人間は他にいないと思ってるんですもん。


今、私の感情を1番に揺さぶってくれる存在が錦戸亮さん。彼こそが担当だと思ってます。

あーあ、錦戸さんの言葉と仕草でこんなに立派な錦戸担が1人出来上がってしまったよ。




最後に。
冒頭の質問に対して忠実な回答をするとすれば、

「2004年の雑誌での発言から気になり始め、2005-06年に演技したり、歌ったり、踊ったりしてる彼の動作を見て好きになりました。それ以降、赤西さんと錦戸さんの掛け持ち状態だったにも関わらず変な意地を張って赤西担を貫いていたため、正式に錦戸担を名乗るようになったのは2014-15年ころから。Twitterで知り合った方々に錦戸担に仕上げてもらいました」

です!



質問をくださった方、ここまで読んでくださった方、皆さんありがとうございました!