私が深澤辰哉さんを応援するまで
テレビの露出が増えたころ、自然と目で追っていた。それはとてもシンプルな理由で、「あー、顔が好きなんだな」と気付いた。そこからは意識的に見聞きするようになったのだけれど、それでも私はアイドルとしての彼を好きだと認められなかった。
それにはいくつかの理由がある。
私はセンターにいるかっこいいアイドルが好きだ。赤西仁、錦戸亮、中島健人……今まで好きになってきたのはそういうアイドルだった。深澤辰哉というアイドルは、どちらかと言えば三枚目路線なのだろう。15年以上ジャニヲタをしてきて、いきなりこんな路線変更、自分の心が追い付かないというのが正直な感想かもしれない。「深澤さんのことはアイドルとしては見られないよ、顔がタイプなだけだよ」と繰り返していた。
深澤さんのファンにとってセンシティブな問題だけれど、彼はカメラに抜かれない。シングル曲ではなかなかソロパートもいただけない。「9人もいるグループだからしかたないよね~」と諦めるためには、本命ではないからいいのだという言い訳が私には必要だった。
いつのころからか「深澤さんが一番だって認めなよ~」と友達に言われるようになった。たしかに深澤さんに関するツイートが増えていること、そしてそれが好きという気持ちに比例していることもわかってはいた。でも、それでも私は彼が一番だと認めることはできなかった。
前述のとおり、私はかつて関ジャニ∞に所属していた錦戸亮さんが好きだったのだけれど、私は関ジャニ∞の「おもしろくてかっこいい関西のお兄ちゃん」的なパブリックイメージが好きではなかった。アイドルにおもしろさは必要だろうか?と何度も疑問に思った。私はかっこいい錦戸さんが見たかった。錦戸さんがグループを離れるまでずっとこのギャップに悩まされていたし、ずっと苦しめられていた。しんどかった。深澤さんのムードメーカーなところは愛おしいけど、「お前は二枚目キャラじゃないよ」と言った誰かさんのことを憎んでもいた。「深澤さんはかっこいいのにどうして呪いのようにそんな言葉を向けたの?」と思わずにはいられなかった。私の見たい深澤さんと、実際のキャラクターは食い違っていたのだ。「あー、これじゃああのときと同じことを繰り返してしまう。またしんどい思いをする」と脳内で警報が鳴る。「もうあの頃には戻りたくない」と心が泣いていた。
こんな私の赤裸々な心の動きを改めて文章にするに至ったきっかけは、深澤さんが初めて雑誌の単独表紙を飾ることになったということだ(しかもジャニヲタが大好きなanan!)
情報解禁され、友人からその事実を聞いたとき、嬉しい気持ちが溢れてきて体が震えるほどだった。実際の表紙を見て、あまりのかっこよさに心が満ち足りていった。そして「貢献したい」と思った。こんなふうに思えるって、それはもう好きで応援してて大切な存在ってことだ。
私には他にも応援したいアイドルがいる。彼らがのぼりつめていく様子を見ていたいと思う存在だ。でも深澤さんのこともきちんと応援していきたいと思った。一番がふたつある私でもいいかな?友人たちからしたら「やっと?いまさら?」かもしれないけれど、そういえば私は錦戸担だと認めるのにも時間がかかったし、そういう性格なのかもしれない。
マリウス葉くんを想う
どこかに書き留めておかないと、何度も何度も同じことを話してはメソメソしてしまいそうだなと思ったので、ここに書き記します。
私が応援するSexyZoneの最年少メンバー・マリウス葉くんが一定期間の芸能活動休止を発表しました。お仕事と学業を両立する中で、心身の不調があり、お医者様とも相談して、この結果になったそうです。
最初にこの発表を聞いたとき、悲しみや不安などさまざまな感情が入り乱れましたが、気持ちが落ち着いた今思うのは「マリちゃん、ゆっくり休んで元気になってね」ということです。今はたっぷり食べて、ゆっくり眠ってね。思うままにお友達と親交を深めて、たくさん学んでね。そう願っています。
ただ、彼の健康を願う一方で、強気な私と弱気な私が交互に現れるのです。
あるときの私はとても強気で「マリちゃんは絶対に戻ってくる!だって5人には強い絆があるもん!」と思う。
でもまたあるときには、マリちゃんがSexyZoneに戻ってこないという未来があるのではないか?と弱気になる。SexyZoneは、今年8月に松島聡くんが病気療養から復帰したばかりで、その「復帰」という決断は、本当にエネルギーの必要なものだったと感じます。だからこそ「復帰という決断」は、奇跡のようだな、と感じるのです。
どんな風に事が進んでも、私は受け入れるのでしょう。ファンになったのは、ついこの間だけれど、私はたくさんの幸せを受け取りました。恩返し、なんておこがましいけれど、そんな風に幸せをくれた彼の幸せを願いたいと思っているから。
ここまで重たいことをいろいろ書いたけれど、あとで読み返して「考えすぎだったね」と言える日がきますように。
私はSexyZoneの5人が好きです。それに、5人が揃った姿の素晴らしさを知ってしまいました。だからこそ、また5人がキラキラ笑って過ごせる日々を願っています。
赤西担だったころのお話
新型コロナウィルスの影響で在宅時間が増えた皆さまのために赤西仁さんがYouTubeにライブ映像をアップしてくれました。(しかも4本も…!※2020年4月24日現在)
JIN AKANISHI 赤西仁 - LIVE TOUR 2015 ~Me~
JIN AKANISHI 赤西仁 - LIVE TOUR 2016 〜AUDIO FASHION〜 in MAKUHARI
JIN AKANISHI 赤西仁 - LIVE TOUR 2017 in YOYOGI 〜RÈSUMÈ〜
JIN AKANISHI 赤西 仁 - LIVE TOUR 2018 “Blessèd” in MAKUHARI
この映像を見返していて、赤西くんと共にあった青春時代のことを思い出しました。赤西仁さんを思ってキーっと熱く感情が込み上げてくることは今はもう少なくなったけれど、あのころを思い出して胸がギュッとなるくらいには鮮やかなものだったので、せっかくなら書き記しておきたいなと思いました。
長くなるかもしれないけどよければお付き合いください。
彼を知ったのは2003年、アイドル誌で見かけたことがきっかけでした。端正な顔立ちと年の割に色っぽい雰囲気、一目惚れでした。知れば知るほど彼は魅力的で、無邪気な笑顔とセクシーな表情のギャップ、歌のうまさ、しなやかなダンス、話すとちょっぴりあほっぽいところも全部ひっくるめて好きになりました。
彼を見ると胸がカーッと熱くなるのです。その素敵さにひゃっほぅ!と叫んでしまいたくなるし、彼の一挙手一投足が私の胸を掴んで離さないのです。それは嬉しくって、でも苦しくって、私はいつもジタバタ。瞬きするその仕草さえ私のツボを掴んで離しませんでした。彼の歌声が私の鼓膜を震わせるたびに心臓が跳ねるのです。当時小学生の私にとってこんな感覚はもちろん初めてでした。
私が好きになったころにはもう既にたくさんのファンがいたけれど、2005年『ごくせん2』出演によって、あっという間にジャニーズファン以外の層にも人気が広まっていきました。
ドラマ、バラエティなどさまざまな仕事が舞い込み、2006年3月に晴れてKAT-TUNとしてCDデビューしました。
今の彼を思えばもちろん大切な時期だったのだけれど、当時はその気持ちだけでは見ていられませんでした。残念なことに私の大好きな彼の無邪気な笑顔はどんどん見られなくなっていったからです。
コンサート前には「今日機嫌いいかな?」なんてファンの話題になるようになっていきました。私はその人間らしさが好きだったけれど、とても繊細で感じやすい彼がどんどん疲弊していくのが、隠しきれない不安定さが、心配でたまりませんでした。
そんな中のアメリカ留学。当時中学生だった私は、人生で初めて絶望を覚えました。もう彼は戻ってきてはくれないのではないかという考えが消えてくれないのです。今でこそ、ジャニーズも個人の人生を尊重するようになり、脱退・留学・解散・活動休止・退所も多くみられるようになってきましたが、2006年当時「無期限のアメリカ留学のための活動休止」は異端なことだったのです。まだ6人でデビューしたばかり、もっと6人で歌い踊る姿が見たい。彼個人の演技の仕事だって見てみたい。たくさん曲を作り、世に披露してほしい。でも彼のしたいことをしてほしい。どんどん新しいことを吸収してほしい。でも、でも。こんな風になって、普通にグループに戻ることはできるのだろうか?もし戻れなかったら?ジャニーズという大きな会社から離れて、彼は生きていけるのだろうか?私の心は乱れに乱れていました。しかし、私のこの拙い心配は杞憂に終わりました。半年後、彼はたくましくなって戻ってきてくれたからです。
また表舞台に立つ彼を応援できるようになりました。
彼はアメリカで確実に何かをモノにしてきていて、ソロ曲なんかも確実にブラッシュアップされていました。でも彼はどことなく不安定なまま。アイドルとはうつろいやすいもの、そこがいい。でも私は彼が心配でたまりませんでした。そこで湧いたひとつの気持ち。それは「結婚して、子供を授かり、愛すべき人・生涯をかけて守り抜くべき人を作ってほしい。そうすれば彼は強くなれるはず」ということです。
アイドルの応援をしているのに不思議ですよね。普通結婚なんてしてほしいわけない。ずっと独身でキラキラしていてほしいんでしょ、とアイドルファン以外の人なら思うかもしれません。でも私はそんなことよりも、彼が強くしなやかに健康で表舞台に立ち続けること、制作を続けることの方が大事でした。彼自身、雑誌等で「結婚したい」「早く子供がほしい」とよく発言していたことも大きかったかもしれません。彼の結婚は、私が彼に望むことのひとつに加わりました。
2007年に留学から戻り、KAT-TUNでのグループの仕事、個人での仕事、たくさんのことに取り組んでくれました。私はそれを素直に応援しました。彼を見られる毎日が幸せでたまりませんでした。でも、その日はゆっくりと近づいてきました。きっかけは2010年、『Love Yourself~君が嫌いな君が好き~』の音源が解禁されたことでした。明らかに赤西くんの歌割が少ないのです。他にもあれ?と思うことはたくさんあったと思います。(もうよく覚えていないけど)あれ、もしかして、彼はKAT-TUNを離れようとしているのか?とファンの間では噂が飛び交いました。そして、KAT-TUN脱退の公式発表が出されました。
正直に、ショックでした。私は6人の歌声が重なるのが大好きでした。シンメである仁亀のハーモニーはこの世でいちばんだと、今でも思っています。6人の揃わないダンスが好きでした。じゃれあう姿をずっと見ていたかった。でも、どこかでいつか終わりを迎えること、6人が笑いあっている未来は当たり前ではないとわかっていた気もする。そうだ、2006年のあのときに赤西くんが教えてくれていたじゃないか。2020年の今、脱退から10年経つけれど、また6人で笑いあってくれる日がくればいいのに、と願わない日はないです。KAT-TUNの6人としてじゃなくていい、ただ彼らが6人で笑い合ってくれればいいとそう思います。
私は仁亀というシンメが好きです。
「仁」「カメ」と呼び合う双子みたいに仲良しなふたりも、大人になって仕事へのスタンスや生き方の違いですれ違って「赤西」「亀梨」と呼び合うようになったふたりも、それらも全部飲み込んで「KAT-TUNのセンター」として並んでいたふたりのことも。ふたりを見ているのが苦しかった時期あったし、今思い出して苦しくなる時期だってあるけれど、それでも今でもあのふたりが大好きです。私の胸の中にはずっと、最高のシンメとして居座り続けるのです。別々の道を選んだ2020年の今も。
2010年にKAT-TUNを脱退し、ソロ活動を始めました。私自身「まだKAT-TUNでいる姿を見ていたかった」という未練の気持ちがなかったとは言い切れないけれど、ソロになってからも彼はいつだって最高のステージを見せてくれました。今ほど洗練されたものではなかったかもしれないけれど、それでも見るたびに彼はアップデートされていました。そんな彼が誇らしかった。
そして2012年、ついに結婚!
結婚してからの彼は本当に強くなったと思う。事後報告の結婚になり、事務所からはペナルティもいただいたけれど、それでも彼は強くなった。表情が変わった。ほら、やっぱり彼は守るものができて強くなる、そう言ったでしょ?という気持ちだった。だからこそ、安心してジャニーズ事務所を退所すること(2014年)も受け入れられた。
私は中丸さんと赤西さんのふたりが好きです。
長男気質の赤西くんが、唯一甘えられるのが1歳年上の中丸くんだったと思う。赤西くんが中丸くんに全力でじゃれつく姿が大好きだった。そして中丸くんもそんな赤西くんを受け入れてくれていたと思う。中丸くんはいつだって赤西くんを優しく見守ってくれた。留学のときも脱退のときも結婚のときも退所のときも、いつでも。感謝の気持ちでいっぱいです。
2014年に独立してからもライブに行ったり、CDを買ったりして応援していました。彼の作るステージはいつだって私を興奮させてくれます。でも同時に気持ちが落ち着く感覚も覚えていました。あ、私が一生懸命応援しなくても、遠くから見るだけになっても、彼はこの芸能界という過酷な世界を生き抜いていってくれると悟ったのだと思います。そう思えたのは、望んでいた妻と子供という存在ができたこと(それは彼の絶対的な味方が増えたということ)が大きいと思います。また、赤西さんを見守るファンも寛容で強い人たちだと、改めて知ったことも大きいです。
彼は私を強くしてくれました。彼の歴史の全てに、良くも悪くも私は心震わされたけれど、今もジャニーズを応援する私にとっては強みでしかない。何がきたって大したことじゃあないさ、と思える。ただまっすぐに好きな人を応援し続ければいいのだと、教えてくれたのは赤西くんです。
彼の顔が、その体が、身のこなしが、彼の頭の良さが好きです。母国語である日本語よりも英語の方が流暢なところも好きです。若いころは感性が強すぎることが心配でたまらなかったけれど、その感性が好きです。彼の愛するものが好きです。彼の作り上げるものが好きです。彼自身が大好きです。
昔は髪型にこだわっていた時期もあったし(脱退前のパイナップルヘアは今でも解せない)、サングラスや帽子は外して~!と願う日々もあったけれど、今の彼にはもう、多くは望みません。
ただ健やかに、自分のペースで、これからも表舞台に立ち続けていてくれさえいればいいのです。その姿をずっと、応援させてね。
恋がはじまったよーー!!!
4年ぶりの更新になります。
ご存じの方もいるかもしれないですが、私自身がジャニーズから離れていたのでこのブログはもう更新しないかもしれないな、と思ったりもしていました。
この4年で私の人生はガラッと変わりました。
就職して同棲して結婚して退職して専業主婦になってあっという間に2020年です。仕事するにも結婚するにも多少の試練を乗り越えねばならなくて、さらには仕事と家事の両立も重なり、私の限りなく少ない体力は使い果たされ、日々の中にジャニーズを嗜む余裕はありませんでした。もちろん錦戸さんを好きな気持ちに変わりはなかったし、できる範囲でテレビも見ていたし、ライブにも行っていたけれど、それに対して湧き上がる気持ちとか、その想いを発信する気力・体力がなかったのです。長いお付き合いの皆様には「最近Twitterにいなくて寂しいです」と言わせてしまう3年間でした。
そんな私ですが、2019年に仕事を辞め、この1年でエネルギーを蓄え、また「ジャニヲタ」の端くれとしてTwitterに、そしてこのブログに舞い戻ってきました。
そりゃあ、その辺の一般人である私ですらいろいろあったんだから、人より苦労も栄光も多く経験してきた錦戸亮さんもジャニーズ事務所を退所しちゃうくらいのこと起こりうるよね。
錦戸亮さんを好きな気持ちに変わりはありません。見れば胸がぎゅっとなるし、元気に生きていてくれるとそれだけで嬉しくなっちゃうのもあのころのまま。でもね、私、やっぱり歌って踊ってキラキラしている世界を見るのが好きなんです。ジャニーズという文化が好きなんです。それを再確認したときにちょうど出会ったのが、Sexy Zoneでした。
2019年、仕事を辞めて時間ができた私。そして友達がSexy Zoneを好きになったタイミングが重なってライブ映像など見かけることが圧倒的に増えていきました。担当であった赤西仁さんを敬愛していると公言していた菊池風磨さんに対しては、「赤西くんの魅力がわかるなんて見る目がある!可愛い男の子だ!」と年上のお姉さんぶって眺めていたし、テレビなどで見かければ彼の歌い方や仕草からはその気持ちがひしひしと伝わってきて、ひそかに好感を持っていました。最初こそ「赤西さんみたいで好きだなぁ」と思っていたけれど、見れば見るほどに彼自身の天然人タラシなところが私のツボに入っていって、だからこそハマるなら菊池風磨さんなんだろうなとぼんやりと眺めていてずっと思っていました。
でもタイミングって不思議なもので、私をSexy Zoneに引きずり込んだのは中島健人さんだったのです。
20代前半のころはその端正な顔立ちから、少女漫画原作の映画で俺様な役を演じているイメージが強かった中島健人さん。私は『花より男子』でも道明寺より花沢類派なので、俺様なイメージのあった彼にハマることはないと思い込んでいました。また、ないものねだりの強い私は、努力の人よりも天才気質な人を好きになることが多かったので、自分のキャラを確立するために頑張って、努力しているように見えた彼は「顔の綺麗なセクシーサンキューの人」という印象でしかなかったのです。
そんな乏しいイメージを抱えたまま、2019年になり、Sexy Zoneを意識して見るようになったタイミングで中島健人さんは金髪になり、銀髪になりました。黒髪・金髪・銀髪と七変化していく彼は私の性癖を刺激し、意識的に目に入れるようになりました。そして改めて彼をきちんと見たとき「あれ、彼ってこんなに物憂げな人だったかな」と驚いたのです。スイッチの入っているときのキラキラした目と、ふとしたときの寂しげな眼差しのギャップに徐々に惹かれていきました。私の闇レーダーが発動したのです。
そして最新のライブ円盤である「Sexy Zone LIVE Tour 2019 PAGES」を手に取りました。彼らの作る耳ざわりの良いセットリスト、きらびやかな演出にどんどん惹かれて、何度も何度も見返しました。次いで友達とともに「Sexy Zone repainting Tour 2018」を見ました。「あぁ、これが本当のSexy Zoneか。松島聡さんを含めてSexy Zoneなんだ」と痛感させられました。5人でこそ完全体なんだなぁと、初見の私ですら感じてしまうほどにそれはそれは完成されたグループだったのです。
また、改めて菊池風磨さんの魅力にも触れました。それまで「風磨くん」と呼んでいたのに思わず「ふーまぁ!!!」と叫んで頭を抱える姿は友達に笑われるなどしました。本能的に惹かれるのはね、やっぱり菊池風磨さんなんだと思います。風磨くんとは見てきたものが似てる気がするから、だからこそ惹かれるのかもしれないなと思います。でもね、そんな中でもつい目で追ってしまうのは中島健人さんで、自分でもびっくりしたと同時に何か新しい扉を開けてしまった気がしたのです。
「圧倒的顔面の良さを持つジャニーさんのスペオキ」というイメージしかなかった佐藤勝利さん。ライブやバラエティで見るうちにそのバランスの良さと安定した情緒が圧倒的センターだなぁと思うようになりました。「Show Must Go On」は以前からジャニーさんがタレントたちに、私たちファンに教えてきてくれたことだけど、その言葉をそのままソロ曲のタイトルにできる彼に「か、かっこいい…」という感想しかありません。
今はお休みしている松島総さん。私結構彼のことが好きだなと思うのです。過去の映像でしか今は彼を知ることができないけれど、ムードメーカーなところもまっすぐ真面目なところもちょっと天然なところも歌とダンスがとびっきり上手なところも、愛おしい人だなと思わずにはいられないのです。
「あんなに小さかったのにこんなにニョキニョキおっきくなっちゃって…」と親戚のおばさんレベルでしか見ていなかったマリウス葉さんも今年20歳を迎えてすっかり大人の顔だなぁと、そのスタイルの良さとともに見とれてしまいます。今もたくさんのことを学び続けている彼は、これからお兄ちゃんたちに負けないくらいの力でSexy Zoneを引っ張っていくんだろうなぁ…と、やっぱり親戚のおばさん目線になってしまいます。
そして2019-2020年のジャニーズカウントダウンコンサート。「あ、私、Sexy Zone大好きだ。応援したい」という強い気持ちを実感し、そこから細々と私なりに彼らを応援してきました。
そのうちに中島健人さんは黒髪に戻りました。
彼への気持ちは、派手髪フェチな私の一時的な好意だったのではないか?と疑いを持ったりもしましたが、今もせっせと黒髪の彼が出ている雑誌を買いあさっている状況です。彼のキラキラしているだけではない過去の話をちらほら聞いて、闇好きの私は日々悶絶し、日々好きを更新しています。たくさんの闇あるキャラクター(フィクション)を好きになってきたけれど、中島健人さんは生きる闇を抱えた王子様です。
またSexy Zoneのさまざまな映像を見ている中で、やっっっぱり菊池風磨さんは私の本能に訴えかけてきます。現場からは以上です。
2021年デビュー10周年を迎える彼らには、既にたくさん積み重ねてきたものがあって、今から私がそれを勉強したところで知り得ないこともたくさんあって。だからこそ私は私のペースで今の彼らを応援して、未来の5人に期待していたいなと思います。
これからの彼らを余すことなく追いかけていきたい、そう思える人たちにまた出会えたことがとても嬉しい毎日です。
またジャニヲタするぞーー!!!
錦戸担がV6のライブ映像をチラ見してみた
2015年11月24日の備忘録
この春、田口淳之介さんがKAT-TUNを脱退し、ジャニーズ事務所も退所されるそうだ。
発表されたのは、11月24日19:00から放送されていたベストアーティストという歌番組の放送中であった。20:24。
その日、私は20:00までアルバイトで、帰路の地下鉄の中ではずっと本を読んでいた。帰ったら、ベストアーティストの追っかけ再生しなくちゃな~と思いながら。
20:37、最寄駅に着き、iPhoneを見ると母からのLINE。
「田口辞めるって」
言葉が足りないのは、お母さんのダメなところなんですけどね。
でも、え、何を?と思ったのは一瞬。私はこの感覚を覚えてる。グループを辞めるんだ、と。信じられない信じたくないでもこの雰囲気はもう2度も味わっている。嘘だ、信じない。そう思っているのにもう涙が流れていた。あたまとこころがごちゃごちゃだった。でも、やっぱり、まだわからないじゃないか、そう思ってTwitterを開く。
やっぱり、嘘じゃなかった。
彼はKAT-TUNだけじゃなく、事務所もやめると。
私は今、錦戸担です。錦戸亮さんを応援しています。
私がKAT-TUNを応援していたのは2003年から2012年頃まで。赤西担でした。
10代を振り返るとき、そばにはいつでもKAT-TUNがいます。KAT-TUNは私の青春そのものなんです。
青春は色褪せずにいつまでもそこにあるものだと思っていました。
でも私の青春はどんどん変化していく。
その中には悲しいものもあったけど、でも素敵な変化もたくさんありました。
私は今のKAT-TUNが好きです。
亀梨くんがセンターを張ってどんどん前へと引っ張っていってくれる。
田口くんの正統派の美しさと映えるダンスがワイルドなKAT-TUNにマイルドな魅力を加えてくれる。
イカつい容姿の上田さんが優しい瞳でみんなを見守っててくれるからみんな安心できる。
中丸さんの甘い歌声があるからこそ歌に幅が広がるし、彼の寛大さがあるからKAT-TUNは自由でいられる。
今のKAT-TUNがいるのも、その変化の賜物なわけです。だから変化を憎むなんてできないんです。いいことだけじゃない、たくさん泣いたけど、でも、憎むなんてやっぱりできない。
だからこそ惜しい。
KAT-TUNには田口くんが必要不可欠だから。
結成当初からずっとKAT-TUNを好きだと言ってくれていた田口くん。
メンバーが他メンバーのソロ曲をshuffleで歌うというコーナーのとき(「KAT-TUN LIVE 2015 “quarter” in TOKYO DOME」収録)、誰のいつのどんなソロ曲に当たろうとも振り付きで歌いきる田口くんが大好きです。
「キー下げて!いつも下げて歌ってんの!」って言ってるの見たら、この人KAT-TUNのこと大好きじゃんって思わずにはいられないです。
だから悲しい。だから悔しい。
本当は「辞めるのをやめてほしい」けれど、もう歯車は回り始めてしまったこともわかっている。
ファンにできることはただひとつ。
今、この瞬間を逃さないように、心に刻み込むということ。
田口くんが田口くんらしい人生を歩めますように。
そして充電期間後、KAT-TUNがもっとかっこよくなって帰ってきてくれるのを待っています。
だからこそ今は4人のKAT-TUNを、今のKAT-TUNをひとつもこぼすことなく見ていなくては。そう思っています。
今や外野の私ですら、こう思えるようになるまで、時間がかかりました。11月のことを年が明けた2月の下旬にブログに書いているんですからね、そりゃね、察していただけるかなと思うんですが。
辞めるのをやめてほしい気持ちが1mmもなくなったわけじゃないです。正直。
こうならないように策を講じることはできたのではないか?と思っていますし、それを怠ったであろう結果、田口さんが事務所を退所するというのは1番最悪の結果だったとも思っています。
きっとずっと想い続けるんじゃないですかね。ジャニヲタ人生の最後まで思い続けるかもしれません。
でもね、そう思ったっていいじゃない、仕方ないじゃない、と思うことにしました。
そして、今できることは今のうちにやらなくちゃなあと思うんです。もしこの出来事から目を背けたりなんかしたら、数年後そのことを後悔するかもしれない。
そんなの悔しいじゃないですか。
楽しむためにジャニヲタしてるのに、後悔とか、私は絶対したくない。
時間はかかってしまったけど、一応、私の中で折り合いをつけられたのだと思います。(無理やり折り合いをつけさせられた、とも言いますけどね)
元KAT-TUN担の戯言にも関わらず、ここまで読んでいただきありがとうございました。
さあ、また今日から精一杯KAT-TUNを追っかけるぞ〜!
今出てる雑誌を買いあさってまいります。
あ、早くベストアルバムも予約しなければ…
店舗で予約すると、お店側はその予約数に応じて入荷数を決めるらしいですよ。
予約数が多ければ、入荷数も増える。
=店舗に並ぶ数が増える
=一般の人の目に触れる機会も増える
という方式らしい、と至るところで目にしますよね。本当なんだかよくわからないけど、でもその可能性に賭けて…
CDショップ行ってきます!